5人の貴公子について【大宝律令 701年当時】

1. 石作皇子「丹比嶋真人(たじひしままひと)」《左大臣》700年(文武四年)
2. 車持皇子「藤原不比等(ふじわらふひと)」《右大臣》708年(和銅元年)
3. 右大臣阿部御主人「阿部御主人(あべのみうし)」《右大臣》701年(大宝年)
4. 大納言大伴御行「大伴御行(おおとものみゆき)」《大納言》701年(大宝年)
5. 中納言石上麿足「石上麻呂(いそのかみまろ)」《左大臣》708年(和銅元年)



(推定根拠)日本書紀「持統天皇十年(696年)冬十月二十二日の条」より

《仮賜正広参位右大臣丹比真人資人一百廿人、正広肆大納言阿部朝臣御主人、大伴宿
禰御幸並八十人、直広壱石上朝臣麻呂、直広弐藤原朝臣不比等並五十人・・・》と記述!


◇ 右大臣阿部御主人、大納言大伴御行、中納言石上麿足の三人は実名通り
◇ 車持皇子が藤原不比等であると推定する根拠

不比等は内大臣鎌足の二男ということになっているが、母は車持与志古の娘で、実は
天智天皇の皇子であることが、当時隠れもないことであった[松尾聡 竹取物語より]

◇ 石作皇子が丹比嶋真人であると推定する根拠

丹比氏と石作氏は姓氏録によれば同族であることと、日本書紀や続日本紀では、前記
4名とたいてい並んであげられていること[松尾聡 竹取物語より]

★ 平城京遷都【710年】
★平安京遷都【794年】


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